全力少女『ダルマ』のチャレンジ記録(受験も♪)

都内区立小学校に通う娘(ダルマ)の日々について主に学習記録を載せています

【必死】

日頃からダルマには、目標に対しては「必死」に取組むよう伝えています。
(先日もチラッと書きましたが)自身の経験から「必死」に取組む事は、
①確度の高い運を呼込む
②土壇場で自分を鼓舞してくれる
という利点があると考えています。


①:受験時、”直感”でこれかな?と思う事しばしばあります。確証がないとあれこれ雑念が入り、結局当初の解答を変えなければ正解していたのに、、、と悔しい経験をされた方も少なくないと思います。
父は、よほどの確証がない限り、ファーストインプレッションは変えません。
直感と言えども、それは過去自分が何回もテキストを読み込み、問題を解き続けてきた経験と思考から来ているものだと考えるからです(多数の国家試験で経験済)。
ただ、正しい直感まで辿り着く為には、それこそ砂を噛むような地道な反復が必要だとも考えています。だからこそ、ダルマには「必死」に取組むように伝えています。


②:父の中学生(もう20年以上前ですね・・・)の時に、巣鴨高校を受験した時の話し。
受験時間はそれまでの学習時間に比べればほんの一瞬です。
その一瞬に数年の積上げたものをバシッと出さないと不合格。。。シビアです。
数学の試験を受けていた時、完全にお手上げ状態でした。
今はどうかわかりませんが、大問1から父にとっては複雑に思える計算で、開始10分くらいで0点になるかもしれないと思った時泣きそうになりました。
と、同時に頭の中で、”この一瞬の為だけに、3年(中1~中3)の勉強時間を無駄にされてたまるか、、ふざけるな、ふざけるな・・・・・”と思い始めました。
そしたら、不細工でも問題文に沿ってできるところまで式を立てようと、一心不乱に取組む事ができました。
途中式も採点に入っていたと思うのですが、何行にもなってしまい、解答も変な数字になった事を覚えています。
無回答は不参加と同じですから、このまま終わってたまるか、終わらせてたまるかという気持ちで何とか数問記入した記憶があります。
結果、「合格」でした。
もしかしたら、正解・不正解よりも粘れる生徒なのかを見られていたのかな?と今となっては思います。


長文になりましたが、そんな経験もあり、古いと思われようが「必死」には意味があると信じているわけです。